DIRECTOR’S INTERVIEW

―20年以上にも渡って「東京」「現実と非現実」をテーマに作品を作り続けている福島拓哉監督。それらは監督にとってのどのような存在なのでしょうか。

「東京」は都市の発展に住んでる人の成長が追いついていないと感じていて、そのひずみに生まれる無自覚な悪意が蔓延しているようにも感じる。そういった東京の精神性やリアリティをコンテンポラリーな題材として作り続けています。
また、「現実と非現実」というのは「境界の曖昧さ」を意味するものでもあります。言い換えると現実逃避したいだけなのかもしれませんが、東京を舞台としつつ「いまではないいつか、ここではないどこか」を求めてしまうことこそが、僕のテーマです。

―この物語の起点となったのは何でしょうか。この作品を撮ろうと思ったきっかけはありますか。

まず、2015年まで2年ほどかけて動いていた『すべての人々』という長編企画がありました。東京を舞台に、家庭内暴力、人種問題、性の低年齢化、新興宗教、反社会組織などの要素を盛り込んだ家族もので、今でも諦めていませんが、資金調達の面で目標金額に達せず一旦保留することにしました。
その際に一緒に動いてくれていたプロデューサーの本井さんや岩本さんの後押しで短編『LEGACY TIME』を撮り、公開時に劇場側から僕の特集上映企画を提案していただき、選出した15本が上映されました。これが多くのお客さんに喜んでいただけたことが、映画監督として僕はまだ終わってない、と思える自信につながりました。
この流れを生かして長編を、と本井さんに言われ、限られた予算で描ける別企画の長編を作ることを決意しました。それがきっかけです。
物語の起点は、まず元々ヒロインものがやりたかったことと、僕が離婚を経験した直後というのが重なり、女性観を表現してみたいという思いがありました。そこに、低予算でも自分らしいSF感を出せるアイデアとして一人三役などを思いつき、物語を作っていきました。

―主演の稲村梓さんはいかがでしたか。

素晴らしい女優さんだと思います。彼女とは5年以上前に出会っていて、少しだけ演技を教えたことがあります。『LEGACY TIME』でようやく一緒に映画を撮ることができました。5年で彼女は見違えるほど成長していて、素晴らしい演技を見せてくれました。
ミカ役は自然と最初に彼女のことが頭に浮かんだので、脚本執筆中にオファーしました。
海外、国内地方、都内ロケと出ずっぱりでさらに三役なのでかなりハードなわけですが、恐ろしいほどの集中力と演技力で見事に演じ切ってくれました。
演劇界での活躍が目覚ましい女優さんですが、今後もっと本格的に映画界に進出してほしいと一映画人として願っています。彼女の今の輝きをもっといろんな映画で使わないともったいないと思います。

―高橋卓郎さん演じるテルに監督ご自身の想いが多分に込められているように感じました。監督の分身とも言えるような役どころを任せられる高橋さんは一体どのような俳優なのでしょうか。

彼は特殊なタイプの俳優で、いわゆる天才型なのだと思っています。いい意味で特徴がなくて、逆に何にでも染まれる。僕はやはりメインキャラクターにはより濃密に自己を投影しているかもしれません。その人物を卓郎に演じてもらうことが多いので、僕の分身とか、ルックスまで似てると言われることもあります。実際、前作『LEGACY TIME』のポスターショットを見た僕の母親が、「今度は監督主演したの?」と聞いてきたくらいです(笑)。もちろん彼と僕とは全然違うタイプなわけですが、僕の映画において僕自身を投影した人物というだけで、彼はルックスすら似てると思わせてしまうような演技をする、とんでもない俳優なのです。

―ロケ地として、独立問題で話題となったスペインのカタルーニャ州を使用されていますが、どのような経緯でこちらを舞台にされたのでしょうか。

ロケ地はカタルーニャ州の北東端にある地中海沿いの古い港町で、かなり前からここで撮影することに興味を持っていました。バルセロナ在住のミュージシャンであるヤンから聞いていたからです。
ヤンは関口純とバンドを組んでいたこともあり、『アワ・ブリーフ・エタニティ』など数本に演奏者として参加してくれています。
数年前からヤンの原案、僕が脚本を務めた『NEW BLOOD FUTURE』というヴァンパイアものの短編企画があって、ついに撮影が始まるから来てくれと依頼されました。その港町で撮影するとのことでした。僕は『モダン・ラブ』の脚本を書いている時期だったので最初断ったのだけど、ふとアイデアが浮かびました。脚本に組み込んでしまおう、と。彼にそのアイデアを話すととても喜んでくれて、二つの組が同時に撮影する、というプランを練り、実行しました。

―音楽が非常に印象的な作品であると感じました。ストーリーと音楽の絡ませ方(音楽の演出)はどの段階から構想していたのでしょうか。

映画音楽としては、関口のバンド・トルコ石と、floating mosqueの河原弘幸の、二つの個性をぶつけてシナジーを生み出そうという狙いがありました。
関口に関しては、彼の音がないと僕の映画にならないと思えるほど大切なピースです。今回彼は、トルコ石で10曲入りの『MODERN LOVE』というEPを作ることを決め、映画と彼の活動のコラボレーションという要素をより強めた曲作りをしてくれました。一方で、トルコ石の曲だけでは足りない部分を河原くんに表現してもらいました。彼はすぐに曲を量産し10数曲の書下ろしを提供してもらったのですが、実は未提出のものが50曲以上あるとつい先日聞いてびっくりしました。彼もまた天才型だと思います。両者の分担で明確に決めてたのは、オープニングはトルコ石のEP1曲目、エンディング曲はfloating mosqueの既存曲「kakko」、ラストシーンはトルコ石のEP10曲目にすることだけです。
物語的には、キーになる場としてライブハウスを設定しました。正確には今村怜央さんが演じるバードというオーガナイザー自身なのですが。彼を媒介として世界線が交錯するイメージです。これは村上春樹やデビッド・リンチ作品に出てくるキャラクターに近くて、単純に彼らの作品が好きなので影響を受けているし、何なら僕は村上春樹とデビッド・リンチは同一人物じゃないかと思ってます(笑)。
脚本執筆の初期段階で、関口が実際にオーガナイズしている350SHOWCASEとのコラボレーションを発想し、彼に相談しました。東京のアンダーグラウンドでリアルに行われているイベントをそのまま取り込むことで、音というか気配や汗や声など、何か生々しいものと荒唐無稽な設定のキーを重ねることで、映画全体のグルーブが作れると思ったからです。

―次回作の構想はあるのでしょうか。挑戦したいテーマなど、宜しければお聞かせください。

『モダン・ラブ』完成後に、オムニバス企画に収録される短編『Floating』を撮りました。子供を失った40代夫婦のある一日の物語です。いつも若者が主人公の青春映画を撮ってきたので、今後は大人を描くのも悪くないなと思えたし、ここのところ女性キャラのことばかり考えてきたので、おっさんのバディムービーみたいなのも面白そうだな、と思っています。
また、いつも僕は「映画という芸術表現の進化の可能性」を考えているので、『モダン・ラブ』もエンタメ作品のようにまとめつつ、本質的にはシンプルかつ難解な展開や哲学的な要素を重層的に入れ込んだ演出を意識しています。グルーブに共振した人には強烈に刺さる、みたいな作り方です。『Floating』ではそういったトライをやめて、いわゆる「いい映画」というタイプの演出をしてみたら、思いのほか関係者に好評だったんですね。なので今後は、そういったスタンダードな演出で長編を1本作ってもいいのかもしれないと今は思っています。ただ、「いい映画」「わかりやすい映画」的なスタンダードさは、普段CMやテレビ等の仕事で日常的にやっていることなので、映画作りにおいてはもっと刺激を求めてしまうところもあります。自分の新しい表現を探りたいというか。なかなか長編を撮る機会に恵まれなかったせいか、ある種の求道者的な感覚があることは自覚しています。
そのあたり、うまくバランスを取りつつ、他の誰でもない、自分らしい作品を撮っていきたいと思っています。